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最後の荷物を運び、新居での生活をスタートさせるのは

長女が連休で私を運んで(?)くれる3月25日と決まった。

中学校の終業式の日でもある。


長男は学校が終わって予定通り何も言わずに

1年間通った学校を後にするはずだった…


そう、その予定だったんだけど


前日、24日のことだ。

学校から電話がかかってきた。

長男が高熱を出して保健室で休んでいるとの連絡。


それから…

記憶が定かでない…

思い出せない…(--;


確か…

学校の先生に病院へ連れて行ってもらったんだったかな???

その後、実家へ送ってもらったんだったかな???


家の方は引っ越し前日ということでどうにもならないので

確かそうしたんだったと思う。


この頃の出来事はグチを書き続けていた某SNSにも記していない。

それができないほど私は辛くて苦しい引っ越し作業に追われていたんだ(;>_<;)



憶えているのは…


病院でインフルエンザということがわかった。

本人がタミフルを拒否したので

とにかく水分取らせて寝かせておくしかない。

高熱でボ~ッとしてる長男を心配しつつも

翌日の引っ越しは全くあてにできないわけで…

一番の働き手を失いパニック状態(@_@;)


それに長男にとっては

自分の中でそっとみんなにお別れをする

大切な日になるはずだったなのに…

そんなこと言ってられないくらい

39度代の高熱で朦朧としている長男。

さすがにかわいそうだった。


さて、どうする?


娘たちと話し合った。

旧居は出なきゃいけないけど

熱が下がるまで実家にいるか???

それとも予定通り新居に移るか???


結果、

長女の連休がそのときだけしかないし

実家にいても私がこんな状態で長男が寝込んでるとなると

母の負担がますます増える。

今、母に再び倒れられたら…

(このとき父はまだ入院中)


で、車で1時間半ほどだし

長男にはちょっとしんどい思いさせるけど

がんばって移動しよう

ということになった。


そして、3月25日。

実家に残る三女と母に見送られ

長女の車で私と長男は出発=3


さすがにちょっとうるっときそうになったけど

長男の熱は下がってないし

自分の体も辛いしで

思ったほどしんみりできなかった。


新居ではすでに二女が1泊していたので

二女のベッドには布団があってすぐ横になれる。

到着するとすぐに長男を二女のベッドに寝かせ

私はベッドの反対側から足を入れ横になった。

1つのベッドに病人2人。

窮屈だけどそんなこと言ってられないくらいしんどかった(;>_<;)


その後、長男はわりと早くに回復したけれど

外出は控えなければいけなかったし

高熱で食事ができてなかったので体力が落ち

数日間は私と一緒に

家具とダンボールとゴミに埋もれながらの引きこもり状態。

私はまたクリノリルを飲みながら

少しずつ物を動かし片付けた。


長男「オレ、保健室行ったまんま教室帰らんかった(--; 

    そのまま転校したんじゃけ、伝説になりそ~」


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つづく。。。
暗い話が続きますが…(^^;



2月下旬から3月にかけて

引っ越し作業はいよいよ本格的になり

ケータイで某SNSをのぞく余裕もないくらい

痛みと苦しみの中にいた。


新居は3月から借りたので

荷物は子どもたちの友人が少しずつ運んでくれることになった。

お金の無い我が家にとっては正に救世主。


運んでくれるひとの休みに合わせて

その日までに荷造りをしなきゃいけない。

1月から少しずつがんばってきたものの

病んだ体ではなかなか進まず

父のこともあったりしたので

2月後半からはホントにまぁ

死に物狂いってこういうのを言うのかしら?

って、今振り返るとそんな感じ。


連日、クリノリルを服用し

効いてる間の短い時間でできるだけ作業する。

激痛に耐えながら一人での作業は

孤独で 辛くて 悲しくて…


子どもたち?

あ、そうそう…

思い出したくもないけど…


これほど してくれない とは

思わなかった。。。(_ _;;


私のものは仕方ないとしても

家のもの、みんなで使うものは

やってくれると思ってたから…


それどころか、自分のものさえなかなかやろうとしない(--;

運ぶ前日の深夜にドタバタしている状況(--;


嗚呼…

もう忘れてることの方が多いけど

思い出しかけたら具合悪くなりそう…

細かいこといろいろ思い出したら

卒倒するかもしれないので

この辺でやめておこう。。。\(--;



とにかくもう

病人虐待に近い状態

仕舞いには薬も効かなくなり

激痛に倒れながら

朦朧とする中

ギリギリでなんとか荷造りを終えたのだった。。。



そして荷物は

子どもたちの友人が運転、

二女・三女・長男が一緒に行って降ろして帰る

という形で運ばれた。




が、しかし、

そこでまた大変なことが…


20歳前後の引っ越し素人が運ぶわけよ

新居がどんな状態だったかというと…


シワのよったカーペットの上に

大量の荷物が思いっきりテキトーに置かれていて

「これはスーツや礼服だから着いたらすぐにかけておいてね。」

って言ったのに

クローゼットの中で悲惨な状態で発掘されたり


安物だけど真新しい畳カーペットが傷だらけだったり

箱にシール貼って置く部屋を書いておいたのに

長男の部屋の荷物がリビングにあったり

キッチンの荷物が私の部屋にあったり…


嗚呼 やっぱ思い出したらいけんわぁ(TOT)

やめておこう。。。



いいのよ、いいの、

バイト代もわずかしか出せず

タダ同然で運んでくれたんだから…


文句を言ってはいけない。

ありがたく思わなきゃね。



そんな状態だったもんだから

その後の片づけがまた大変だったのだ。。。



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つづく。。。
さて、気を取り直して「引っ越し狂想曲」の再開。

ここに書いている文章、

実はブログ休んでいた時期に

某SNSでおともだちだけにグチってたものを

修正しながら投稿している。

私の脳みそはほとんど忘れてしまっているから

こんな長い文章を思い出しながら書けるわけがないのだ(^^;


*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....


2月下旬の話


親戚には問題アリのわが家だけど

親も、私たち兄弟も、子どもたちも、

大変ありがたいことに良い友人知人に恵まれている。

みんな父のことやわが家の今後を心配してくれている。


直接話しかけてくれる人はもちろん、

電話、メール、日記コメント…


こういうときの声って本当に心強い。



長男の担任の先生も親身になって受け止めてもらい

校長先生、教育委員会、民生委員さんまで集まって

長男の入寮のことを話し合っていただいたそうだ。


でも、やっぱり…

家族が引っ越すのに一人残るのは不自然。

担任の先生に家に来てもらって

時間をかけてゆっくり話し合った結果

長男の転校が決まった。


でも、わが家の話も長男の気持ちもしっかり聞いてもらえて

受け止めてもらえて

長男は納得してない様子ではあったけど

大人の事情も理解できるので

諦めなきゃいけないんだろうな…って感じだった。


私「大勢の大人がキミのことを考えてくれてる。

  ありがたいことだよね。」

長男「うん。」


そしてその日の夜遅く

初めて引っ越し先の中学校のHPを見ていた。


長男の性格を考えると

新しい場所への不安はそれほど大きいものではなく

やはり小学校のときからずっと一緒の

今の友だちと離れるのが嫌なんだ。

それは周りの大人もみんなわかってる。

誰も長男のわがままだなんて言わないし思ってない。


でも、そういった話し合いの中で

仕方のないことなんだな~って理解していて…


元々じいちゃんばあちゃんのとこから通って卒業できるって

本人はもちろんみんなが思ってたから

突然降って湧いた出来事で

すぐに心の整理をしろという方が無理で…


まぁ、今日明日のことでもないから

1ヶ月かけてゆっくり気持ちを整理していけばいいかなと思った。



長男がつぶやく

「転校することになっても、誰にも言わないでくれ。」


私「終業式の日に言うん?」


長男「いや、言わん。」


私「じゃあ、4月に“2年になったらおらんかった”って?」


長男「うん、そうしたい。みんなの前で泣きたくないから。」


先生と話してる間も涙を堪えてた長男。

まだ13歳…

でも、なんかね、少年っていうより男って感じで

ちょっとカッコよかったぞ。。。



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つづく。。。
毎日痛み止め飲みまくって

寝たり起きたりしながらどうにか引っ越し作業をしている最中

2月のある朝のことだ。


母から電話があった。


前日から父の具合いが悪いので

ちょうど連休で帰宅していた長女に

病院へ連れて行ってほしいと言う。


長女が父を迎えに行ってしばらくしてから

社員から電話があった。(実家は自営業)


「社長が今から救急車で病院へ運ばれます!」


運ばれるときは意識を失っていたにも関わらず

本人はその直前まで

「寝とりゃあ治る」

母も

「そんなに大げさにせんでも…」

って感じだったらしいが、

脳外科勤務の長女が異変に気づき

救急車を呼んで

市の中心部にある総合病院へ。


救急車を見送りながら長女が私に電話してきた。

「これから追いかけるから」


何もできない私は家でオロオロするばかり。

弟たちに連絡を入れた後は一人泣いて過ごした。



検査の結果、父は脳出血を起こしていることがわかった。

幸い命に別状はないが

長女がいなかったらお葬式になるところだったと聞かされ

ゾッとした。


意識は戻ったし、長くはかかるけど回復する可能性も大きい。


長女が電話してきてくれたので一安心はしたものの

厄介なことに言語障害で意思の疎通ができないという。


母はちょうど1年前、心臓発作で倒れ入院生活を送った。

緑内障が進んでいることもあり会社の事務はすでに退いている。


私は仕事を離れて長いし

今もこんな状態だから何もわからず何もできず…


とりあえずその日の夜から母をうちで預かって

会社の方は社員がなんとか仕事をつなげてくれた。


何もできない私は悲しくて自分が情けなくて

気持ちが張り裂けそうで…

一人の時間は泣いてばかりだった。


それでも母の前では泣かないようにした。


母もかなり憔悴しきっていたから

母の前ではなるべく冗談を言っていつも通り毒舌吐いて

明るく前向きな私を装った。


東京からかけつけた弟は

「姉ちゃんは自分らのことだけ考えろ。」って言ってくれる。

「父ちゃんと母ちゃんのことは選択肢がたくさんある。
 
 東京(自分)でもNY(兄貴)でもええんじゃけ。」って言う。


母は「みんなに迷惑かけて情けない。」


私「とりあえずは一緒に引っ越そう。

  父ちゃんは引っ越し先の近くの病院に転院させれば

  ここから今の病院通うより楽じゃし。」


弟「そりゃあとりあえずはそうしてくれりゃありがたい。」


二女「ま、3LDKだから二人一部屋にすれば住めるしね。」


私「私が父ちゃんと母ちゃん引き取るよ。」


長女「ママじゃなくて二女でしょ。

   何の力もないママも二女に引き取られる立場なんだから。」


私「ハイ、そうでした。ジジババ付きでお世話になります。」



問題なのは長男の学校だ。

転校したくないという長男。中学卒業まで2年ある。

長女が「今の病院やめて2年間こっちで働いて長男みてやるよ。」

と言い出した。

でも、実際は人手が足りず簡単にやめられるような状態じゃない。

13歳の長男には酷かもしれないと思ったけれど

全て受け止めなければいけない現実なので

話し合いには参加させて大人の事情も全部聞かせていた。

長男「寮へ入りたい。」

私「ん…家族が引っ越すとなるとそれも難しいかもしれん。

  学校側に事情を話してはみるけど、ダメならあきらめる?

  離れても友だちでなくなるわけじゃないし

  友だちが減るんじゃなくて増えるって思うようにしよう。

  近い(車で1時間半)んじゃけ行き来もできるし連絡も取れるよ。」

長男「…わかった。長女姉ちゃんに仕事変わらせてまでとは思わん。」

私「ま、後1~2週間はゆっくり考えて決めよう。」

長男「うん。」



そんなこんなで…

私も脳脊髄液減少症の症状に加え心労で寝込む日もあったり

めそめそ泣いてばかりで…


でもさすがに今回ばかりは子どもたちも

「ウザい」なんて言わなかった。

泣きたかったのは子どもたちの方なのにね。


長女は強い。

二女も強くなった。

三女も引っ越したらすぐにバイトみつけて働くって言うし、

長男は思いがけず飛び込んできた試練と向き合った。


なのに私は泣いてばかりのダメな母親だ。。。





その後、

一度は三途の川を渡りかけたのに

父の気力は凄まじいものがあり

少しずつだけど順調に回復。


社員を病院に呼んで支持を出し

時々外泊許可をもらって帰ってこれるようにもなり

もうしばらくは母と二人で生活することを選んだ。



けれど、

当初予定していたように

私と長男は父を頼るわけにいかない。


長男は泣く泣く転校を決め

二女が借りたアパートに

私と共に引き取られることになった。



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まだ、つづく。。。(^^;
新居は、

日当たり良くて

広くて

公共交通の便利が良くて

生活しやすい場所だ。


でも…

なんだかあまりにも素敵すぎて


こんなとこに住んでいいのか?

っていう戸惑いと違和感と


私にはもったいないわぁ~!

っていう罪悪感に似た気持ちが湧いてきて

とってもとっても複雑な心境だった。

今時のごく普通のアパートなんだけどねぇ…


18年以上居た借家が1968年築で

日当たり悪くてめちゃめちゃ結露で

壁塗り直してもカビだらけ

冬は隙間風と床からの冷えでめちゃめちゃ寒い(><)


でもそういう生活に慣れちゃってたもんだから…


いや、もちろん、そんなのが気に入ってたワケでは全然ない。



でも、

私の中の貧乏性という名の悪魔(?)が

変に邪魔をしているような…


いやぁ~

ホンマに

この貧乏性ってのは

邪魔だわぁ\(--;




で、不動産屋さんの反応はというと、


まず、二女が普通に挨拶

「先日はありがとうございました

 今日は母を連れて来ましたので…」


ここの不動産屋、30代くらいの兄弟とお母さんがやってる。

最初に出てきたのは明るくチャキチャキした

商売上手な感じのお母さん(60歳前後かな)


二女の言葉で私の方を見て

まるでドラマみたいに一度視線を外しもう一回見て


「えっ お母さん!?」


長女&二女「はい…」


「まぁ~!」

って言いながらもう一回訊かれた。

「お母さん???」


そうだって言ってるでしょ(^^;


って内心爆笑しながらも

「お世話になります」

と、笑顔で挨拶をする私。


「まぁ 若い~~!姉妹みたいながぁ~!!」

後ろに居た息子さんに向かって

「こちら、お母さんじゃと!」

息子さんたち、固まってる~(^^;


嫌味な感じじゃ全然なくて

わりと好い印象でとっても話やすいおばちゃんだ。


「イイ娘さんたちですよねぇ」

って何度も言われた。


「ハイ、私の子ですから…」

とは、言わず

「私がこんな体になってしまったもので

 娘たちには苦労させてます。。。」


娘らの外面がイイのは私に似たからか???



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つづく。。。
二女の就職が決まった場所は県内某所。

そこそこ田舎なんだけど

超田舎もんの我々母子からすると都会なワケで…

部屋探しはわりと楽かなと思っていた。


が、違った(--;


2階建てのアパートはたくさんある。

でも、空いてるのは2階ばかりで

なかなか1階の空き部屋がみつからない。

体の悪い私が2階で生活するのは困難なので

とにかく1階を探した。


と言っても、

私はネットで見るだけで

現地へ行って探せるはずもなく…


お子たちとあれこれ話し合い

長女と二女の休みが重なった1月下旬、

二人が不動産屋めぐりをして決めてくれた。



二女

『それがさぁ~ 姉ちゃんの言い様が酷いんよ。

 ママのことめっちゃ悪く言うんよ。

 思考力が低下してボケとるだのなんだのって

 まるで認知症の高齢者みたいになっとるかのようにすごい言うけぇ、

 アンタ、なんてこと言うんだっ( ̄◇ ̄; って思ったよ。

 だって、印象悪くしたら困るじゃん。

 ちゃんとフォローしといたからね。

 でもね、不動産屋さんがえらい気にしちゃって

 
 「お母さん、(普段)一人にしておいて大丈夫ですか?」


 とまで言われてしもうたんよ(--;


 だから


 「大丈夫です~w(^◇^; 

  少しずつ家事もしてますし、

  散歩はしますけど

  夜中に俳諧するとか

  そういう類のことではないですからぁ~w(^▽^;」


 フォローするのホント大変だったよ。。。\(-д-; 』



どこまでフォローになっとるんかようわからんけど…


長女、一体何を話したんだ??? ( ̄△ ̄;



そりゃあさ、

元気な頃のママと比べたら

寝たきりは脱したとは言っても

まだまだボケ病人ですよ。


いつもキミたちに

「もうっ!何回も何回も同じこと訊かんでやっ!!」

って怒られてるさ。。。

(でも内容忘れるからまた訊いてしまう)

三女も長男も

「お母さんに言っても無駄だから…」

って、いつも言ってるさ。。。



とか言いながら、私は大爆笑。


私「今度ママが行ったらビックリしてんじゃない?」

二女「そうよね、『聞いてたよりまともじゃ』とか思ってじゃろうね。」

私「あ、でもそのくらい悪く言っとく方がええかもしれんね。

  多分、普通に考えたら20代の娘がおって、病気でボケとって…

  って思ったら、“実年齢50歳くらいだけどすごい老けとる”のを

  想像しとってじゃろうし…

  実際ママが行ったら、若すぎてビックリしてじゃわぁ~」



時々こんなふうにどうでもいいことで爆笑することもあった。



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つづく。。。
年明けから長年の荷物の整理とかをやった。


その作業がめちゃめちゃ大変(><)


私が普通の体なら

こういう大きな出来事は楽しんで

はりきって動きまくると思う。


でも、楽しみたくても体が自由にならない(T_T)


30分くらい作業すると

1~2時間横にならなきゃ

次のことができなくなる。


それを一日に2回もすればかなり具合い悪くなってしまう(T_T)


クリノリルを飲んで

効いてる間にまた少し片付けて…

そしてまた痛みが酷くなりバテる。。。ミ(o_ _)o


間では普段の炊事や洗濯もやらなきゃいけないし…(T_T)


1日にできる作業がほんのわずかだから

早くから取り掛かってるのに

なかなか進まない(T_T)


でも、仕方ないからまたクリノリル飲んでがんばって…

そしたら今度は胃の調子がぁ~(>o<;)


そんな中、プチうつに陥り

涙がぽろぽろぽろぽろ出て(;_;)


なんだか子どもに引き取られるおばあさんみたいで

すごく情けなくなったりして(;_;)


このボロい借家で子どもたちを育てた日々を

いろいろと思い出したり(;_;)


こんな感情は本来なら

かなり年を重ねてから味わうもんなのに…

多分80歳くらいで…

私はまだその半分しか生きてないのに…


この町やこの家に未練があるわけじゃなくて


脳脊髄液減少症になって

BP受けてある程度回復はしたものの

完治には程遠くて


とうとう子どもの厄介になる


そんな現状が

どうしようもなく悲しくなって(;_;)


それでも子どもたちがちゃんと考えて

面倒みてくれるって言うんだから

本当に幸せなことで…


それはよくわかってるんだけど

いろんな感情を整理仕切れなくて


毎日、毎日、

涙がぽろぽろぽろぽろこぼれた。。。(;_;)



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つづく。。。
あまりにも長くブログから離れていたような気がして

なんだか戸惑っている自分がいる。


え~っと・・・

まずは・・・

そうそう、


わが家は先月末

県内某所に引っ越してきた。


前のブログは非公開にしたので

おさらいね(^^;



昨年末、福祉系の学生だった二女の就職が決まり

経済的な事情もあって(それが一番大きい)

わが家はこの春初めて地元を出て引っ越すことになった。


すでに就職していろいろ助けてくれている長女の町と近くなるので

県北の不便な田舎にいるよりは行き来しやすくなり

何かと心強い。


でも、中1(当時)の長男は転校するのを嫌がった。


そりゃそうだよね

じゃあ、あと2年はじいちゃんばあちゃんの家に世話になろう。


ということで

古くてボロい借家は出ることにした。


とりあえず、二女と三女は(わずかな)家財と共に引っ越して

私と長男は実家で過ごし

学校が休みのときに引っ越し先へ行くという二重生活(?)


そして2年後、長男の進学先を新居から通える高校にして

中学卒業と同時に移住しよう。


・・・と、いうのが当初の計画だった。



が、しかし、

2月のある日

思いがけない事態が発生し


私と長男は急遽

この春から二女に引き取られることになってしまい

長男は泣く泣く友だちと別れ転校することに・・・(⊃_;)



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つづく。。。(多分)
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