今朝は県南部も雪になった。

大晦日、今年を振り返る…気にはなれないなぁ。。。


4人の子どもたちを育てていく中で

『過去から学び 現在を見つめ 未来を考える』

私はそんな人でいたい 

子どもたちはそんな人になってほしい


な~んて

頭の中に

カッコイイ高すぎる理想を掲げてきて…


でも結局は

想うようなことはしてやれなくて

現在(いま)に至る f(^^;


ま、あれやこれやの理屈はどうでもいいや。


現在(いま)を抱きしめよう

過去(きのう)も一緒に抱きしめよう


泣きたいときにはガマンせずしっかり泣く o(ToT)o

笑いたいときには思いっきり笑う ヽ(^▽^)ノ


自分の 子どもたちの 『感情』が愛しく思える



明日は正月かぁ~


今日から明日に変わるだけ

それだけのことなんだけど…


今日の夕方

わが家に父がやって来る。


初めて母のいない正月を独りで過ごすのは

やっぱ寂しすぎるだろうと思ってね。


それにヘルパーさんや食事の宅配さんにとっても

年末年始には1件でも減る方がいいだろうと思って…



時間は

慌しく

ゆるやかに

勝手に

流れていく。。。



広島ブログ



みなさま


ブログコメント、mixiコメント・メッセージ、メール、電話、手紙…

多くの温かい心を寄せていただいて

今年は特に大きな支えになりました。

本当にありがとうございました。


よいお年をお迎えください。



今日の夕方、日が暮れてからインターホンが鳴った。

「宅急便で~す」

一同「何だろ???誰か通販頼んだ?」


長男が受け取りに出た。

「△△県からだ~」

私「えっ!?○○さん?」

長男「うん。」


見ると、TAKEさんからプレゼントのデコポンだぁ~!!ヽ(^▽^)ノ

200912292003000.jpg


夕食後に早速食べてみると

甘酸っぱさが私好み(^-^)


母も柑橘類好きだったなぁ。。。


TAKEさん

ありがとうございま~す!(^^)


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昨日25日はクリスマス…だったんだけど

私は月に一度の通院日。

二女が付き添ってくれて電車とバスを乗り継いで行ってきた。


帰りは雨がしとしと降って

そのせいか体調が急激に悪くなり

家に着くと倒れこむように横になった。。。ミ(o_ _)o


と、ちょうど頭のそばに私宛の郵便物


広島ブログを通じて交流のあるShiozyさんから

素敵な本のプレゼントが届いていたのだ。


だから優しく、と空が言うだから優しく、と空が言う
(2009/11/26)
中島 未月(文)HABU(写真)

商品詳細を見る




HABUさんの素敵な空の写真をバックに

中島未月さんの優しい言葉が並んでいる。


今日を抱きしめよう

今日は 今日しか見えないものであふれている




中島未月さんのブログはこちら

心が晴れる「はれ、ことば」



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昨年の12月にもShiozyさんから頂いたのよね(^^)

だいじょうぶ。の本だいじょうぶ。の本
(2008/11/18)
中島 未月奥中 尚美(写真)

商品詳細を見る



お子たちが話し合って選んだのはこれ

大山乳業『ペアケーキ』

12cmの生クリームケーキと生チョコクリームケーキのセット

200912241949000.jpg

生協で毎年母が買ってくれていたけど

今年からは自分の注文で…


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久しぶりに「生協みんなの掲示板」に記事を書いてみた。

かんちゃんが暗い話でもいいって言うので(^^;

母の話ね。


↓そのコピーです。


*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....


母と私が生まれ育ったのは広島県の山奥の町。

そこには歴史ある小さな教会があって

母は敬虔なクリスチャンでした。

同じ町内に嫁いだ母はずっとその教会に通い続けていました。


父と母が交際を始めたのも教会がきっかけだったのですが、

母と生協の出会いも教会がきっかけでした。


「広島県民生協」と「広島中央市民生協」が合併し

今の生協ひろしまが誕生した20数年前だと思います。

配達エリアを県内全域に拡大されつつある中で

山奥の田舎町でも生協の配達が始まりました。

私の地元でその先駆けとなった班の1つが母が通っていた教会。


すぐに加入したい気持ちはあったようですが

当時はまだ60歳代だった祖母(父の養母)が財布を握っており

母は40歳前後だったのですが

毎日の食生活は母の自由にはなりませんでした。


それに実家の近所には食料品店があり

実家も自営業だったので

生協トラックが家の前に停まるのは困るといった事情もありました。


でも、母は生協の商品に関心があったようで

牧師夫人や教会班で協同購入をされている古くからのお友だちに勧められたこともあって

牧師夫人の名前で時々商品を買わせていただいていました。


その頃のことで私がはっきり覚えているのは

母が年末には必ず生協の蒲鉾を買っていたことです。

安心安全でおいしい蒲鉾だと言って喜んでいました。

(祖母は色が薄いと文句を言ってましだが…)


それからしばらく経って

町内で引っ越したのをきっかけに私が生協ひろしまに加入しました。

1990年の秋のことです。


実家の近くに引っ越したので

母は私の名前で注文するようになりました。


祖母が老いて弱っていくと

母が生協を利用する量は増えていきました(^^;


そしてようやく母の名前で加入することができ10数年。。。


毎週、毎週、

肉・魚・牛乳・ヨーグルト・冷凍食品・社員に出すおやつ、

年末にはお正月用品、

弟たちが帰省してくる前にはつまみ類もいろいろ…


母は晩年、緑内障を患い

目が見えづらくなっていたので

ここ数年は大きな虫眼鏡で生協のチラシを見て

一生懸命番号と商品名を書いた汚い字で私にFAXしてきて

それを私が注文書に書いたり

母の名前でログインしてネット注文するという形を取っていました。

20数年の間に実家の周辺も様変わりしたので

最近では実家へ直接配達してもらっていました。


母は昨年2月に心臓を患い入院

祖母はそのとき施設に入れました。


退院後は父と二人の生活で

それまで以上に生協が頼りでした。

毎週、毎週、

簡単に調理できる商品や冷凍食品を購入していました。


今年2月に父が倒れ入院

母を自分の家に呼び一緒に生活しました。


体の悪い私は3月末に地元を離れ

二女に引き取られる形で県内某所に引っ越し

母のもとには三女を残しました。


6月に父が再々入院してからは

新居に母を呼び一緒に生活しました。


わが家は娘たちの出入りで

子どもが2人だったり3人だったり4人揃ったり、

(わが家は、私+社会人の娘3人+末っ子長男の5人家族です)

それに母が加わると6人になるわけで

生協の注文をするときはそのときの人数によって数が違うので

それを考えながら決めていかなきゃ…


「この日は長女はいなくて、母と三女はいるから魚5切れね。」とか

「この日は全員揃うから6人分の肉が必要…」とか

毎週、毎週、

私は足りない頭をフルに使って考えて決めていました。



今年8月12日(水)

父が退院する日、お盆休みで東京の弟が帰省しました。

夏休みなので実家へ行って母と過ごしていたうちの長男(中2)は

叔父ちゃんと入れ替わる形でうちに帰ってきました。


8月13日(木)

母はいつものように夕飯の支度をしたそうです。

弟が帰ってくるのが嬉しくて

生協でめずらしく(笑)牛肉を購入していたようで

見えづらい目でも肉じゃがを作ったそうです。

そして父と弟と3人で普通に食べたそうです。


8月14日(金)の朝

母の容態が急変したと弟から電話がありました。


その日のことは

私のブログに長々と書きましたが…

(こちらです→http://tubononaka09.blog34.fc2.com/blog-entry-61.html


不思議なことに

生協を通じて出逢った親しいお友だちのおかげで

母の最後の3時間を一緒に過ごすことができました。


後から考えると

涙ってこんなにたくさん出るもんなんだと思った数日を過ごし…


翌週 8月20日(木)

亡くなる前日13日(木)に母が注文した生協商品が

いつものようにたくさん届きました。


肉・魚・冷凍食品・牛乳・ヨーグルト・社員へ出すおやつ…


泣きながら冷蔵庫へ入れました。



私はもちろん今も毎週生協を利用しています。


9月10月は鬱状態だったので

毎週生協のチラシを見ながら泣いていました。

魚の切り身の数を考えるとき、涙が出てきてしまうのです。


11月にはちょっと落ち着いたかな~って感じでしたが…


年末が近づき、クリスマスやお正月用品の予約チラシを見ると

毎年母が買ってくれていた生協のケーキやおせち材料を思い出し

また涙々で…

気持ちの方はなかなか落ち着きそうにありません。


でも、ぼちぼち元気出さなきゃね。


まともに食べられない日々が続いていたのですが

最近になってようやく食欲が出てきました。


寂しい年末年始ですが

家族と一緒に母の思い出を語り

泣いたり笑ったりしながら

生協で用意したおいしいものをたくさん食べようと思います。



広島ブログ


昨夜遅く、二女が

「マジックある?」

私の目の前にあったペン立てから取って渡した。




で、

今朝起きたら・・・


なんじゃこりゃ

200912200838000.jpg



裏返すと

200912200838001.jpg


21にもなって

おちゃめなことをする二女(^^;




↓今も歌われとるんじゃね♪






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さてさて、いよいよ引っ越し狂想曲最終回。

これまでの話はカテゴリの引っ越し狂想曲を読んでね。


*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....


2004年春 

長女が高校を卒業 看護学校進学のため家を出た。



2007年春 

二女が高校を卒業 短大進学のため家を出た。


この年、長女は看護学校を卒業。

看護師資格は取ったけれど

寝たきりだった私に代わって家事をするため家に戻り

実家の自営業を手伝いながら

小学生だった末っ子長男の面倒をみてくれた。



2008年春

長女は看護師として就職し家を出た。



2009年春

二女が短大を卒業 私たちと同居することになった。



そして 2009年7月末

長女の荷物を運び込んで

5年4ヶ月ぶりに私と4人の子どもたち

5人での生活が始まった。



体を悪くしてしまった長女と二女

でも、若いんだからすぐに回復するだろう。

ゆっくり休んでしっかり治して

それからまたがんばってくれればいいや。


このとき長女は

回復して再就職できたらまた家を出るつもりだった。

だから家電はそのままにしておいたんだけど…


その後、

8月 母との突然の別れがあって

このときみんなが動けたのは

全員無職だったからという不思議。


実家は自営業、父は脳梗塞、

ホントにもうあれやこれや大変なことになって…


結局、二女に白羽の矢が刺さり

実家の自営業を臨時で手伝ってくれることになった。



9月の末に主治医の許可が下りた長女は早速仕事を探し

うちから近い場所で外来看護師の仕事が決まった。


甘えん坊の元ニート三女も働き始めた。



10月に入ってようやく落ち着きを取り戻したわが家。

でも、まだ荷物の片付けは終わっていない(--;


うちから近い職場を決めたことと

みんな一緒に暮らす方が経済的にも助かるということで


「同棲か結婚するまで家を出るの禁止ね。」


長女は二女・三女にそう言った。

もちろん自分もそのつもりだそうだ。


11月末

長女の家電をリサイクルショップに買い取ってもらい

三女と長男が家具の配置を換えてくれて

ようやく5人での暮らしが整い始めた。


二女は実家の仕事から解放されたものの

ワケのわからないことを必死でやって疲労困憊(@_@;)

11月には40度近くの熱を出し寝込んでしまった。。。ミ(o_ _)o

詳細は書けないけれど

この秋の二女の頑張りはものすごかった。


長女「私と三女が働き始めたんだから年内はゆっくり休ませてやろうよ。」


というワケで、年明けから就職活動を始める予定。




某漫才師が書いて売れた貧乏生活を綴った本

父親が子どもたちに「解散」って告げる場面が話題になったけど…


私たち母子も

いつかは解散する日が来ると思う。


娘たちがお嫁に行ったり

末っ子長男が進学したり…


長女「ママが嫁に行ってくれるのがうちらは一番ありがたいんだけどね」


ん~

それは難しいかもよ( ̄△ ̄;

どっかに引き取ってくれる奇特な人がいるかしら???



とにかくまぁそんなこんなで

とりあえずは

私 長女 二女 三女 長男

5人仲良く(ホンマかいな?)

一緒に暮らしていくことになったのだ。


いつか素敵な解散をするときまで・・・ね。




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引っ越し狂想曲  お・わ・り





引っ越し狂想曲を読んでメール・メッセージ・非公開コメントをくださった方々

ありがとうございま~す!

できればブログのコメント欄にも一言お願いします(^人^)、

今後の励みになりますので…(^▽^)ノ

7月末

長女の引っ越し作業をした。


わが家で唯一運転できる長女

過労で倒れ寝込んではいたけれど

通院日や体調がマシな日に合わせ

3~40分の道のりをがんばって運転した。


私は助手席。

どうでもいいくだらない話や

笑える話をしゃべりまくる役。

正直、私にはそれもしんどかったんだけど…

体調悪いのにがんばって運転している長女は

しゃべってテンション上げてないと

朦朧としてくると言うのだ。


二女は腰を悪くしているので役に立たず

求職中だった三女、休日には長男(中2)が一緒に行ってくれた。


寮の部屋はエレベーターなしの4階(´△`;)


部屋に着いたら

長女は作業が終わるまで横になっている。


私もしばらく横になって

そのまま三女や長男に指図をし

30分くらい経って動けるようになったら

少しずつ生活用品や小物を箱に詰めたりした。


そしてそれを三女・長男が車まで運ぶ。

その間、私はまた横になる。


車に載せられるだけ載せたら

三女と長男はバスで帰る。

(軽自動車だから後部座席にも詰め込んだ)

車が混む時間を避けて

長女と私は車で帰る。


家に着いたら

長女と私はバタンキュ~(表現古すぎ?笑)


三女と長男が荷物を車から家に運ぶ。


そういう作業を数日に分けて行い

寮の部屋の掃除も三女と長男がやってくれた。


冷蔵庫と洗濯機は小型だから軽自動車に載るサイズなんだけど

それでも運ぶのが大変。

長女は家族ぐるみで付き合いのある

友だちのお兄さんに頼むことにした。


そのお兄さんとうちの長男とで4階から運んでくれて

家電もわが家へ到着

ようやく荷物の移動は完了した。


が、

置き場がない。


ということで

冷蔵庫・電子レンジは私の部屋に

洗濯機は長男の部屋に(--;

その他の荷物は各部屋の押入れに…


春に引っ越してきたときの荷物の整理はすんでないし

短大でアパート暮らしをしていた二女の荷物も

一部はそのままだし…

(二女の家電は友だちにあげたり実家に置いたりした)

それに加え長女の荷物が加わったもんだから

ホントにもう、どこに何があるのかわからない(@_@;)


そしてわが家は全員無職状態(T△T)

これからの生活はどうなるのか!?


広島ブログ


次回はいよいよ引っ越し狂想曲最終回!(予定)


今年2月に脳出血、5月に脳梗塞を患った父

6年前の事故で脳脊髄液減少症になった私

どちらも脳を患っているワケで…


8月に母が亡くなってから

あれやこれやと度々電話してくる父

ボケボケ頭で応じる私


会話していてもかみ合わない部分がある。


もちろん元々は父の方がしっかりしていたわけだから

そういう部分はちゃんと残っていて

私より知識も経験も豊富だから

言語障害で足りない言葉を繋ぎながら説明してくるんだけど


私は・・・


ワケわからん(?_?;)


脳出血&脳梗塞の症状と、脳脊髄液減少症の症状、

似ている部分はすごく理解できるけど


お父ちゃんの方がしっかりしとるわぁ~

って思う部分があったり


こりゃなんぼ説明してもダメじゃ。お父ちゃん全然理解しとらん(--;

っていう部分があったり


体は父の方がずっと元気で

私の方がいろんな後遺症で寝たり起きたり


ん~

やっぱ上手く表現できないなぁ…


弟たち&私の子どもたちは

こんな私と父を相手に

大変みたい \(_ _;


私自身は

しんどいなぁ~って思っても

記憶障害があるから

良くも悪くも

すぐに忘れる( ̄▽ ̄~


今日は休みだった長女が連れ出してくれたので(近くだけど)

疲れて調子悪くなってる。


これ書いたときの方が今よりはまだマシだわ(^^;

脳出血患者と脳脊髄液減少症患者




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前回までの話はカテゴリの「引っ越し狂想曲」で。。。


*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....



長女が過労で倒れ、退職し、私たちと同居することになった7月

介護福祉士をしている二女が腰を悪くしてしまった(><)


こちらもドクターストップがかかり

しばらく自宅療養していたけれど

いつ回復するものかわからないし

仕事に出られないから収入もなくなる。


このままでは困る~!


ということで、

二女は転職を考え

退職することになってしまった。


毎日家に帰ってあれやこれやと職場の話をしていた二女。

夜勤もあるし早出もあるし

確かに体力的には大変そうだったけれど

仕事の話をするときの二女は生き生きとしていた。

介護の仕事は好きだったのに…本当に残念だ。


そもそもわが家がこの町に引っ越してきたのは

二女の就職がこの町の高齢者施設に決まったからなんだけど

わずか4ヶ月でこんなことになるなんて

もちろん思ってもみなかった。


看護師の長女、介護福祉士の二女、

日本の医療・介護現場の現実を目の当たりにしてしまった。


なんだかんだ言っても

長男は泣く泣く転校してきたわけだし

都会なような田舎なようなこの町

県北よりはずっと交通の便利も良いんだから

他の場所に移る理由はない。


このままこのアパートで

長女も一緒に5人で暮らすことにした。


もちろん経済的にはギリギリの綱渡り状態だったけど

1~2ヶ月はなんとかなりそうだ。


さぁ、三女よ、キミの出番だぞ。

姉ちゃんたちが一度に倒れてしまったんだから

回復するのを待ってたらわが家は持たない(T_T)

急いで仕事みつけてくれ~!!


と、その前に

そう、7月いっぱいで寮を出なきゃいけない長女

荷物をどうやって運ぶ!?


お金はギリギリの生活費しかないから

引っ越し費用はないのだ…\(--;




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つづく。。。


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