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8月14日(金)


早朝、電話が鳴る音で目が覚めた。

2日前の12日に東京から帰省してきた下の弟からだ。

母が倒れ救急車を呼んだので

救急隊の人と話をしてほしいと言って弟は電話を代わった。

アレルギーのこととか、生年月日の確認とかだったかな…

それからすぐにまた弟に代わってもらい少し話した。

昨年2月に心臓発作で倒れ入院した病院へ運んでもらうから

特に慌てる必要は無いだろうと言う。



父は今年2月に脳出血で倒れ緊急入院。

5月、退院後あまり日が経たないうちに

今度は脳梗塞で倒れ緊急入院。

6月には退院したけれど

また具合が悪くなり

今度は別の病院へ入院し

弟が帰ってきた12日に退院したばかりだ。


前の家は実家のすぐ近くだったので

2月に父が倒れてから3月の終わりまでは

引っ越し作業中のわが家に母を呼び一緒に暮らした。


4月からは父の仕事を手伝ってきた三女を

母と一緒に実家で住まわせた。


6月に父が退院したとき

三女は今の家に引っ越してきて私たちと同居。


それからまた父が入院したので

自営業は従業員に任せ、母をわが家に呼んだ。


それでも家のことが気になるらしく

度々実家に帰っていた。


ガリガリに痩せてしまった母。

うちに来てるときは明るく楽しそうにしているけれど

実家に帰ると電話してきてグチを言う。


私「ずっとこっちに居ればいいじゃん。」


それでも母は2~3日置きに

バスで2時間の道のりを行ったり来たり。


私「また倒れるようになるけぇ、こっちへおりんさい。」

母「店があるんじゃけぇ、そんなわけにもいかんがぁ。」


母の仕事はほとんどないはず。

信頼できる従業員さんがいるんだから

全部任せておけばよかったのに…



そんなことをあれこれ考えながら

洗濯物を干したり、休んだりしていた。



やっぱ、病院行かなきゃ…

でも、どうやって行こう…



そのとき、ちょっと不思議な出来事が起きた。



ケータイが鳴ったので画面を見ると

長年生協活動を共にしてきた友人O理事からだ。

O理事は私より一回り以上年上なんだけど

とても仲良くしていただいて

私の中では勝手に「友人」と位置づけているのだ。


O理事「今ねぇ、近くに来とるんよ~」

私「え~っ!!」

O理事「父さん(ダンナさん)が都合悪うてねぇ、

     私一人で墓参りすませたとこなんよ。」


実は、O理事の家は母が入院している病院の近くで

O理事の身内のお墓が私が今住んでいる町にあるのだ。


O理事の町から今の私の町までは車で約1時間半。

O理事がお墓参りに来られるのは年に2~3回程度。


なんだろう!?この偶然は???


ケータイで話している途中

家の電話が鳴った。


弟からだ。


私「ちょっと他の電話が鳴ってるからまたすぐかけなおします。」


O理事からの電話を切り、弟からの電話に出た。


弟「父ちゃん(母の病院へ)連れて行こう思うとったら

  さっき病院から電話があって

  夕方までに親族を集めてくれ言うちゃった。」




意味がわからなかった。。。



でも、急いで行かなきゃって気持ちになって

すぐにO理事に電話


私「もう用事すませちゃった?」

O理事「うん、暑ぅなる前に思うて朝墓参りすませたけぇねぇ。」

私「実は今朝母が○○病院へ救急車で運ばれたんよ。

  乗せて行ってもらってもいい?」

O理事「すぐ近くのスーパーにおるけぇ、迎えに行ったげる!!」



私一人では不安なので長男を叩き起こし支度をさせ

迎えに来てくれたO理事の車に乗った。


それでもまだ

私は事の重大さに気づいてはいなくて

いつも通り明るくふるまい

久しぶりのO理事との会話を楽しんだ。。。


が、

やはり心は上の空だった。



病院に着くと母の部屋には医師と数名の看護師

車椅子の父と弟と

母が50年以上通い続けた教会に最近赴任してこられた若い牧師の姿


母が倒れる直前の深夜

父も具合悪くして病院へ運び

検査を受けて帰宅したので

弟は全く寝ていなくて

教会の先生に運転を頼んだと言う。



ベッドの上に横たわっている母は

人工呼吸器とか

いろんな管をつけられて

目は開いたままで

じっとしたまま動かなくなっていた。



医師は何やら難しげな話をする。

意味がわからないけど

優しい印象で…

たぶん、家族に気を使った話し方をしてる???


言語障害の父がつぶやいた。

「つまり・・・はぁ、ダメじゃ・・・いうことなんでしょう?」


医師は重い口を開いた。

「数時間か、1日か・・・というところでしょうか・・・

 他に身内の方がいらしたら連絡を・・・」



ああ、そうなんだ。。。


でも、

超天然で、そそっかしくて、

おっちょこちょいな母のことだから


「あら?私、寝よった?」


とか言いながら

とぼけた感じで

今にも起き上がるような気がしていた。



それから

長い

長い

長い時間・・・


いや、実際には

3時間ほどだったんだけど


耳は聞えてるはずだからと思い

私はいつもの調子で


でも泣きながら母の手を握りしめ


「父ちゃん残して先にいったらいけんで。

 私はこがぁな変な父ちゃん

 よう面倒みんけぇね。

 お母ちゃんじゃなけにゃ

 父ちゃんの守りはできんのんで。

 母ちゃん治ったら

 こうやって泣きようるんも笑い話になるわぁ。」



具合の悪い父は

一旦、病院の近くにある知人の家で休ませてもらうことになり

長男を付き添わせた。


病室には私と下の弟、

そして母の50年来の友人夫妻がかけつけてくれた。


NYにいる上の弟にはすでに連絡し

一番早く取れた便が15日の夜に着くという。

急なので1人分しか取ることができず

義妹は一緒に帰って来れない。



私の体も限界に近づき

母のベッドのそばに置いてある長椅子で横になった。


隣で横になったまま

母に話しかけ続けた。


横になって休んだり

起き上がって母の手を握って話しかけたり・・・


私が母の手を握ると

母はピクンピクンと動いている。



うん、ちゃんと生きてる。

安心してまた横になる。


でも、それは

母の意志ではなくて痙攣なんだと医師は言う。



でも、ちゃんと生きてるじゃん。





長い

長い

長い時間が過ぎ・・・



ちょうど

私が母の手を握っているときだった。




そばにある機械の音が変わった


それと同時に


母の手は動かなくなった。






母の手を握ったまま

しばらく泣き続け・・・



それから少し経って

ようやく娘たちが到着した。



O理事のおかげで

母と過ごせた最後の3時間は

生涯忘れることのできないものとなった。




3日間泣き続け

2週間経った今も

涙スイッチは

生活の中のあちらこちらに出没する。



こんな状態が

まだまだ続きそう。。。



でも、私は

多くの人たちに支えられているから大丈夫。



子どもたち

弟たち

声をかけてくれる人たち

電話をくれる人たち

メールをくれる人たち

mixiメッセージ・コメントをくれる人たち

このブログにコメントくれる人たち

静かに祈ってくれてる人たち・・・



みんな、みんな、

ありがとう。。。







ぶ~たれ - Hisa's blog「Day Dream Believer」








先週、母が急逝した。


救急車で運ばれた数時間後だった。



3日間泣きっぱなしで

4日めからは憔悴しきって放心状態。



それでも涙には終わりがないようで

生活のあっちこっちにスイッチがある。



親しい人からの電話や友人からのメールには

感謝の涙スイッチ。。。

支えられてることを実感する。




薬を飲み、わずかに効いている短い時間

実家の冷蔵庫を片付けた。


野菜のミイラや賞味期限切れの食品

亡くなる前日に母が作った肉じゃがは腐ってた。


ここにも涙スイッチ。。。




体調が更に悪化したので

父と実家のことは

弟たちと長女に任せ

一旦自宅に戻って休養を取っている。



洗面所には

最近度々我が家に来ていた母の歯ブラシ


洗濯機の中からは母の寝間着が…






がまんする必要はないし

できないから


涙スイッチがあったら

素直にONにしよう。。。




でも、私は大丈夫。


家族や、親しい友人知人に支えられてるから。





ただ、しばらくはゆっくり休みます。






お返事はできないと思いますが

コメントは感謝の気持ちで頂戴しますね。。。


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