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最近はなぜか

3~4年前のテレビ番組

『戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜』の中の

MUSIC TONIGHTという音楽コーナーにハマって

ほぼ毎日のように観ている。


きっかけは、

以前長女がその番組にハマって

レンタルしたDVDを続けざまに観ていたという下地があって、


先月くらいだったかな…

三女がテレビドラマ『学校のカイダン』に出演していた

間宮祥太朗くんにハマって

その間宮くんが以前出演していた戦国鍋TVを

再び観るようになり

それに付き合って観ているうちに

私もハマってしまった…というワケ(;^^A


ちなみに私は

村井良大くんがお気に入り(^-^)


そういえば『戦国鍋』のことは前にもブログに書いたぞー

と、思い出し、

記事を探すと…あった、あった

2012年3月12日
「熟女の恋愛ものと、戦国武将と…」


なんじゃ??このタイトルは(--;

と、思いながら

忘れていた内容を読んだ。


東日本の震災の1年後

ちょうど今から3年前の3月

父の最期が近いことを感じながら過ごしていた頃だ。


母が急逝した翌年(今から5年前)

わが家に父を引き取って半年間一緒に暮らした。

(その後は長期入院し、退院後は施設を転々と…)


バラエティー番組ばかり観て

ふざけあってばかりいるわが家の様子を

父は少々嘆いていた。


「おまえらが話しょうるんは会話じゃあないがの。」とか

「ちいたぁ、まともなもん(テレビ番組)を観ぃやぁ。」とか…。

そんな小言も今となっては懐かしい。


視野が広く、知識も豊富で、

考えの深かった父は

もちろん歴史にも詳しかった。


戦国鍋TVなんか観せてたら

なんて言っただろう?

「こがぁなバカげたもんを観ようるんか。」

って怒ってたかなぁ…。


でも、うちの子たちは

ゲームやアニメやバラエティーをきっかけに

歴史に興味を持って

古い大河ドラマや時代劇を観たり

世界の国々のことも

自分でいろいろ調べて知識を増やしていったり…


イマドキの若いもんらは

それなりにしっかりしとるんよ

お父ちゃんがこんなん観たら

あきれるかもしれんけどなぁ(^。^;








ここのところ、高齢者を見かけると切なくなるのは

父の命日が近いせいかな。


そんな寂しさを紛らわせるかのように

今夜もまた

三女の 「鍋、観る?」 という誘い文句に

「うん」 と応えてしまいそう…。


ええオバチャンになっても幼稚なままの私を

父はどう思ってるかなぁ~

母と一緒にあきれながら笑ってるかなぁ~



気づけば2月になり、立春が過ぎて…

でも、今日は真冬日で全身が痛む(T-T)

とりあえず、去年の出来事を書くのはこれで締めくくろうかな。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


10月の下旬

初めて近所の総合病院へ1人で歩いて行った。


Googleマップで見たらうちから800m

引っ越してきて5年半

用がないから近所だけど行ったことがなかった。


バス通りを歩いていると建物が見えたので

うろ覚えのマップを頭に浮かべ近づくと

近くの家の陰になって見えなくなった( ̄д ̄;


方向は合ってるはず…と適当に歩き、

入口を発見してたどり着いた。

ちょっとしんどかった。


名前の割にはちょっと小さめ?

県北の総合病院よりかなり小ぢんまりで昭和な建物

玄関に院内の地図…じゃなくて、

なんて言うんだっけ?案内図??

コンタクト入れてても見えづらい目で

じぃーーーっと見て確認

初めての場所はかなり苦手だ。


気持ち的にじゃなくて、

脳みその働きが悪いのを実感する。

血液内科のある病院へ行ったときもそうだった。


やっと受付を把握し

「初めてなんですけど…」

前の病院でもらった受付表と紹介状を渡した。


院内もおもいっきり昭和な感じ


ファイルを渡され

「これを持ってあそこの内科受付へ行ってください。」

「え?すみません、見えないんですけど…」


たぶん、ぼんやりとは見えていた。

脳みそが把握してない。

目の前にあった。


そんなこんなで内科の受付をすませ

待ち時間はわりと短く、すぐに名前を呼ばれた。


内科医N先生にはじめましてのごあいさつ

N「こんにちは。

  ・・・ひとりで来られたんですか?」


優しい感じ、私よりちょっと年上かな、

でも、なんだかお年寄りに接するような

ちょっとバカにされてるような気がした第一印象


2006年からお世話になってる総合病院→

血液内科のある大きな総合病院→

そしてこの病院


2ヶ所の病院から渡された書類の中には

私の情報がいろいろ記載されているので

N先生の目に最初に留まったのが

「高次脳機能障害」という文字だったらしい。


話をするうちに口調が普通な感じになって

印象も良くなってきた。


血液検査を受けた結果

前回の瀉血から2週間経っていないこと

経過が悪くないことから

今日は瀉血せず来週にということになった。


脳脊髄液減少症(脳脊髄液漏出症)や

高次脳機能障害について

いろいろ聞かれて

質問されたことに答えて

わりと理解を示してもらえたので良かった。


この古ぼけた病院へ通うことになるんだなぁ~


瀉血なかったから帰りも歩いた。

かなりバテてしまった。。。ミ(o_ _)o


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


こんなふうに備忘録は書いておいた。


この時点では

弟たちには伝えていたんだけれど

大学の寮で暮らしている息子には

多血症のことを話していなかったからだ。


検査の結果、急いで伝えるようなことじゃなかったので

息子が年末に帰省したときゆっくり話した。


その後、ブログを再開しようと決めていた。


今回のことで出会った医師に

いろいろ話しながら思ったんだけど

やっぱブログやSNSやってて良かったわぁ~

これまでのこと記録できてるもん。


自分じゃすぐ忘れるし

手で文字をたくさん書くのは無理なので

こうしてパソコンで記録しておけるのは便利だ。

これからも良い形で利用していこうと思う。



【おまけのエピソード】


息子が帰省していても

体調の悪い日が多いから

お昼はふたりでカップ麺ってこともあった。


体調が悪いと頭の働きも悪くて

食べるのも喋るのも下手になることがある。


上手く食べられなくて

ピシャって、汁が顔にちってしまった。


私の口から出た言葉は

「目が汁に入った。」


息子、涼しげな顔で

「はよ、元に戻さにゃあ。」


・・・( ̄- ̄;


わが家はいつもこんな感じ。


年末ギリギリには東京の弟もやって来て

紅白を観ながらあーだのこーだの

お医者さんのOKもらってるから

一緒にお酒を飲みながら

いつも通り

楽しくにぎやかな年越しだった。



さて、次回からは

ようやく通常の投稿に戻れる

・・・と、思う(;^^A



『真性多血症』と診断されてから9日後、

二女が休みだったので付き添ってくれて

バスで血液内科のある病院へ


血液検査と、2回めの瀉血&点滴

血液内科のA先生診察


この日の予約時間はちょうど良いバスの便があったんだけど

この病院へのバスはとにかく本数が少なくて便利が悪い。

JRを使うと最寄りの駅まで行って

そこからタクシーを使わなきゃいけないからよけいに便利が悪い。

車だとわりと近いのに

私は運転できなくなってるから…。


そんなわけで、前回からA先生との話し合いで

今後の検査・経過観察・瀉血を行なってくれる病院を探していた。

長女がわが家の近所の総合病院に問い合わせたところ

引き受けてくれそうだとのこと。


その病院の地域連携室が連絡を取ってくれることになった。

そこに決まれば、私でも歩いて行ける。


お昼過ぎの予約で行ったのに

瀉血と点滴で時間がかかり、心臓の検査もされ、

夕方になってしまった。


A先生による最終的な結果は

『JAK2という遺伝子の変異がみられない大変めずらしいタイプの真性多血症』


その遺伝子変異が原因な場合がほとんどで

陰性は5%しかいないんだとか。


そんなことを言われても

さっぱりワケがわからないんだけど…(--;


仮に陽性であっても


なぜその遺伝子が変異するのかはわからないらしいから

結局はどっちも原因不明だし。←素人考え


わかりやすい説明もされた。


・数値でいうと、白血病に近い状態なので

 定期的な血液検査で様子を見る必要がある


・瀉血治療は月に2回程度行い、数値の変化を見ながら頻度を変えていく


・癌になりやすい


ということだ。


喫煙は厳禁らしいけど

元々タバコ吸わないどころか

これまで一度も口にすらしたことがないので

これは全く関係ない。


「お酒は飲んでもいいんですか?」


と、ストレートに質問したところ

優しい笑顔で


「いいですよ~、常識的な量であれば(^^;」


生活習慣病ではないので、日常生活での制限もない。

簡単に言えば、白血病と癌になりやすい体ってことだ。


検査を受けてから結果が出るまでの一週間でいろんなことを考えた。


検査結果は素直に受け止めよう。

白血病でも癌でもいろんなタイプがあるし

癌は部位にもよるし


治る、治らない、一旦治っても再発…

いろんなケースがある。


他の病になったとしても

どんな場合も

とにかく素直に受け止めよう

そう思った。


それは今後も変わらないと思う。

だって…

逃げることはできないもんね。



さらに、つづく。

前回からの、つづき。


これまでの血液検査では何も言われたことがないのに


「貧血を心配してたんだけど…血が多い。
 
 血液内科へ行ってもらおう。

 ここにはないからなぁ~

 ボクの知り合いにもいないんだよなぁ~」


と、頭を抱える先生


「血液内科ってのがあるんですか…

 普通の内科じゃダメなんですか?(・。・)」


「ダメ!」


ちょっと怖い顔でそう言うと

先生はパソコンに向かい血液内科を探し始めた。


「ああ、ここどう?○○病院。」


「うちとこの病院の間くらいの場所です。」


「じゃあ、ここへ行ってもらおう。

 すぐ紹介状書いて予約取るから待ってて。」


脳外科の事務員さんが予約を取ってくれた。



週末を挟んだので

最短で予約が取れたのは6日後だった。


三女が付き添ってくれて(JR+タクシー)

紹介された病院を受診。


県東部の血液の疾患を抱えた患者は

ほとんどここへ来るらしい。

いつも近くは通るけど受診するのは初めてだ。


ちなみに

生協の、わが家へ配達にきてくれる支所の近くにある。


採血、エコーなどあれこれ検査を受けた後

なぜか血液内科の救急治療室へ通された。

大きな部屋にベッドがいくつか置かれカーテンで区切ってある。


そこで血液内科の医師と初対面。

とても優しく、私が持っている疾患にも理解を示してもらい好印象。


その日の検査の結果


「『多血症』で、白血病か癌の可能性があります。」


私の中ではなんとなく想定内だった言葉

驚きも悲しみも特になかった。


急遽、その場で白血病の検査を受けた。

ベッドがカーテンで区切られ

うつ伏せになって

腰の左側の骨に穴を開けて中を吸い出された。

結果が出るのには一週間かかる。


とりあえず多血症には違いないので

瀉血(血を抜いて捨てる)と点滴をされた。


結果とCT検査は次週ということで予約を取った。


検査疲れでヘロヘロになって動けなくなってしまい

長女が仕事を早退して車で迎えに来てくれた。



その翌日

ひとりで主治医のところへ行った。


前日の報告といつもの注射


その日の外来は私が一番最後だったので

M先生についグチってしまった。


以前から

「今後、癌とか何か大きな病気にかかったら

 お金がかかる治療はしたくない

 痛み止めだけにして

 あとは自然に逝かせてほしい。」

と、子どもたちに伝えていたことや


今回、白血病や癌でなかったとしても

この先何があるかわからない


あの事故から11年

子どもたち…特に長女は

10代から20代までの長い時間

苦労させ続けてしまったから

末っ子も巣立ったことだし

もうこれ以上負担をかけたくない


と、思っていること…


涙がぽろぽろこぼれた(;_;)


すると先生


「気持ちはわかるけどね、そうもいかないでしょ。

 それはあなたのわがままだよ。

 お子さんたちはお子さんたちの役割を努めようとしてくれてる。

 そういう良い子たちにあなたが育てたっていうことだよ。」


その言葉に更に号泣(つ△T)

涙目で帰宅。



20~30代の頃の私なら

検査結果も待たずにこの辺りで舞い上がり

自分の物や家の不用品を捨て始めたり

父と母の遺品を整理したり

エンディングノートを仕上げたり

連絡先を整理したり…

体の不調おかまいなしで突っ走っていただろう(;--A


でも、さすがに少しは大人になっているらしい。

そういう行動には一切出なかった。


ま、頭の中では

検査結果を待ってからあれやこれや始めよう

と考えてはいたんだけど…。



検査結果を聞く前日

生協の生産者交流会で楽しい時間を過ごした。


それと同時に

一番元気だった頃を思い出した。


育児・家事・生協活動・生活のための仕事・実家のばあちゃんの世話…

あれこれとパワフルに動き回ってたなぁ~


その日の夕方

地元の後輩がテレビのローカルニュースに出た。

癌患者さんのための再生美容師をしている。

抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまった女性たちに

心優しく寄り添う彼女の姿に感動。


でも…

私が今後、そうなったとしても

彼女のお世話になるのは経済的に無理だ。

そうなったら帽子かぶっとこーって思った。



そしてその翌日

長女が仕事を休んで

検査を受けた病院に連れて行ってくれた。


その日の検査と前回の検査の結果

白血病も癌もなかった。


診断は、『真性多血症』

原因は不明


10万人に2人くらいいるらしい。


その中でも女性はわりと少なくて

多くは50~60代の太り気味の喫煙男性らしい。


今後ずっと付き合っていかなきゃいけないらしい。


血栓ができやすいので

脳梗塞や心筋梗塞などを発症しやすいし

場合によっては白血病に変異することもあるらしい。


それらを防ぐために

血液をサラサラに保つ薬の服用と

瀉血をしなければいけないそうだ。


病院でもらった冊子を読んでも難しくてあんまりわかんない。

インターネットで調べてもやっぱり難しい。


そんな中で、

治療しなければ生存は1年半

治療していれば10年後生存率は7割超え

…みたいな文章をみつけた。


ただし、これは発症時(発見時?)の年齢の平均が60歳くらいのデータ

ってことで

40代の私にはあまり当てはまらないのかも。



そのまた翌日

この日、長女は普通に休日

すごく久しぶりに車で

主治医の病院へ連れて行ってくれた。


前日に検査を受けた病院で言われたことを

詳しく報告するためだ。

私ひとりでは怪しいからってことらしい。



・・・そんなワケで


偶然にも「真性多血症患者」という

新たな肩書がついてしまった私。


気づかず倒れてからわかった

ってことになる前に

血液検査をしてくれた主治医M先生に

また命を救われた。



でも、ホント、強がりでもなんでもなくて

白血病でも癌でも

怖いとか悲しいとかいう気持ちはなかった。

そのまま受け止めてた。


感情的になるヒマがないなと思った。


とにかく動ける間にやらなきゃいけないことだらけ。


自分の物を捨てまくったり

家の中を片付けまくるのはもちろん、


ニューヨークの甥っ子に会っておきたいから

弟一家を帰国させねば!とか、


生協ひろしま葬祭事業部のO崎さんに連絡して

「依頼しとる件(私を埋める場所探し)早急に頼む!」

って言わなきゃとか、


生前葬やろうかとも一瞬思ったけど

「先が短いからみんな集まって~!」

なんていうのは不謹慎な気がしたし

仮に一度に大勢集まられたら、ゆっくり話ができない。


じゃあ、やっぱ一人ずつ

会いたい人たちに会いに行かなきゃ!とか・・・


あれもこれもと想像したら、頭の中がかなり忙しかった。


白血病かもと聞いて頭に浮かんだのは

百恵ちゃんのドラマと

小学生の頃大好きだった少女マンガ


それから、夏目雅子と本田美奈子


でも、そんな悲壮感は全然なくて

現実はホント忙しいわぁ~って思った。


だって

本当にそうなったら

うちの子たち、大人になっているとは言っても

まだ29・26・24・19歳


普段は毒を吐きあう母子だけど

しばらくは立ち直れないくらいの悲しみを背負うと思うし

頼れるはずのじいちゃんばあちゃんは早めに天国いっちゃったし

おっちゃんたち(私の弟ふたり)は何の役にも立たんし…。


おふざけでも、不真面目でもなく、

本当にちゃんと終活しとかなきゃ

遺された子どもたちが途方に暮れると思った。


今回はこういう結果だったけど

今後も何があるかわかんないから

ゆっくりと少しずつ

できる範囲で

身の回りや家の中のものは

片付けたり整理しとかなきゃね。


実際、瀉血をくり返すと弱る場合もあるらしいし。


早くに出産し子育てを終えて

子どもたちが無事成長してくれたこと、

事故の後遺症でさんざん苦しんできたこと、

それと、すでに両親を見送ったということもあって

気持ちがわりと落ち着いているのかもしれない。


思い残すことは特にないなぁ。。。



・・・あ゛っっっ!!!


これから恋愛して、お嫁に行かなきゃ!(>▽<)



そして更に、次回へつづく。


今さらだけど、長い間サボってたので

一応、去年の出来事を記しておこう。


え~っと、まぁ、

順を追っての話なので誤解のないよう念のため

はじめに書いておくけど、


(お父ちゃん、お母ちゃん、もしかしてもう迎えに来るん?

 思ったよりちょっと早いけど、まぁええわぁ~)

と、少しの間、考えてしまう出来事があったのだ。

結局、まだ迎えに来る予定はないらしいけどw(^。^;)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


2014年の春

末っ子長男が無事巣立って

わが家は20代の娘3人と私の4人暮らしとなった。


子育てを終えた達成感にも似た気持ちと

途轍もない寂しさに襲われ

堕落した日々が始まった。


朝のアラームは鳴らす必要がなくなったので

好きな時間まで寝て

起きたら洗濯だけして、またゴロゴロ。。。


気が付くと夕方

(あれ?今日まだ何も食べてない。ま、いっか。)

夕飯は生協で購入しておいた

レンジで温めるだけで食べられる冷凍食品

それも少量

当然、どんどん痩せていった。


体調が悪いのは相変わらずだけど

去年は一昨年までとは違い

6月に1度だけ入院治療を受けて

あとは週に1度の通院をするようになり

それは今でも続いている。


そんな生活の中でも私なりに考えて決めた

大きな決断があったんだけど

娘たちにはわがままと映ったようで…

(ま、今思えば実際ただのわがままだった気もする)

家の中を不穏な空気にしてしまったり… ヽ(_ _;


自分で作ったストレスに負けて

体調はさらに悪くなっていった。


そして、9月後半のある日

いつも通り週に1度の主治医(脳外科)受診で

M先生「今日は久しぶりに採血しよう」

私「はーい」


その日は精神科の受診もあったので

その待ち時間に採血してもらい

診察が終わっていつものように帰ろうとしたら

精神科の事務員さん

「M先生が呼んでらっしゃるのでもう一度脳外科へ行ってください。」


(ありゃ?何かひっかかったんかなぁ~)

と思いながら、再び脳外科の診察室へ

私「何か出ました?」

M先生「出た出た。」

口調はいつもと変わりないのに

そこにはこれまで見たことのない

険しい表情のM先生の姿があった。



次回へ、つづく…


みなさま、お久しぶりです。

…って、すっかり忘れ去られていたりなんかして(--;

とりあえず、帰って参りました。

また気まぐれな更新ですが、

よろしくお願いいたします。m(_ _)m


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


年が明け、数日経って

早速『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作を観た。

バック・トゥ・ザ・フューチャー

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3


だって今年は映画に出てくる30年後の世界

2015年だもん!


主人公マーティは1985年に17歳

PART2に出てくる30年後の世界(今年)では47歳

私と同い年なのだ!

(演じたマイケル・J・フォックスは確か7つくらい上だったけど)


さて、やってきた2015年


予定(?)とは違って

車は空を飛んでない。

ネクタイ2本するのも

ポケットの裏側を出して歩くのも流行ってない。

ホバーボードも見かけない。


FAXの時代は通り過ぎ

ひとりずつスマホやパソコン持って

メールでやりとりする世界は予想外?(笑)


過去に想像していた未来とは少し違うけど

いや私のことだけで考えると

だいぶ想定外なことが多いけど…(つ-T)


それでも、今年もマイペースで生きていこう。


去年あったすっだもんだは

そのうち気が向いたらここに書こう。

備忘録として(;^^A


先月末

末っ子長男は、無事巣立って行った。

私は予定通り、毎日泣き暮らしてる(つдТ)


息子の成長は心から嬉しいのに

今はまだ寂しさの方が大きくて…


姉ちゃんズ
「お母さん、かなりヤバイレベルだよ( ̄д ̄;)」


空の巣症候群重症(_ _;)


一人暮らしに不慣れな息子

わからないことがあると度々短いメールを送ってくる。

それなりに一歩一歩前進しているようだ。


ニューヨークの甥っ子は、昨日3歳の誕生日を迎えた。

先月スカイプで話したとき

初めて私を呼んでくれた。


♪それでも~ 未来たちは 人待ち顔して微笑む~♪


もうすぐ父の命日。2年経つんだなぁ…

母が逝ってこの夏で丸5年


♪嗚呼 過去たちは 優しくまつげに憩う~♪


私の人生も愛燦々


時の流れは

愛しくて 切なくて 嬉しくて 寂しい

あけましておめでとうございます


マイペース過ぎてほぼ放置状態のブログですが

本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m


昨年末、家族の集合写真を撮りたいって言ったのに

若いもんらが撮らせてくれなかった(つ_T)


で、年賀状には↓この絵を使った。


2014年始挨拶画像ブログ用

私が描いて・・・たら、

あまりに下手過ぎたので

見かねた三女が

代わりに描いてくれたのだ(;^^A


大晦日には東京の弟が来て

3日に帰る予定が

新幹線の騒動で4日の朝に帰って行った。

急に寂しくなった(;_;)


こんなことで寂しがってたら

この春、私はどんなふうになるんだろう??


センター試験を控えた末っ子長男

今日も勉強がんばって…


あれ?

学校から帰ったと思ったら

コタツでケータイつつきながら

しっかりくつろいどるし(・。・;


ま、いっか。

ここからは彼自身の人生だ。


というワケで

この春、末っ子長男が高校を卒業し

巣立っていくわが家。


解散計画もあったんだけど…

残される独身成人女性4人とも

なかなか彼氏ができないので

一体どうなることやら…。ヽ(-д-;


こんな私ですが

これからも生温かい目で見守ってやってください。
2014クリスマスの食卓



昨日は二女と三女の休みが重なったので

2人でクリスマスディナーを用意してくれた。

三女が作ったアルボンディガス
(スペイン風肉だんごのトマト煮)

二女が作ったリースサラダ、パンプキンスープ、ケーキ


ビールとワインとシャンメリーで乾杯

(^^)/▽☆▽\(^^)


母子5人で過ごすクリスマスは今年が最後…になるはず

来春、末っ子長男が高校を卒業し巣立っていくからね。


寂しいような、嬉しいような…


台風18号のおかげでここ数日はものすごく調子が悪い(><)

体中がジンジンビリビリズキズキする(;>д<;)


世間じゃ今日は敬老の日らしい。

わが家の最長老は45歳の私なので関係ないけど…

若いもんら、敬ってくれるかなぁ??( ̄▽ ̄;)


高齢者のことについて、語りたいことは山ほどある。

そんな中で今回はひとつだけ

おむつのことを書いてみる。


昨年4月に亡くなった父


長く入院していても成す術がないということで退院となり

60代の若さで高齢者施設を転々とした。

入所はどこも多くの順番待ちで

短期入所という手段しかなかったからだ。


まあまあ良い施設、酷い施設、いろいろあった。

中でもおむつのことで思い出すのは某施設。


脳梗塞や肝臓の病気を抱えていた父

部分的には認知症と診断されても仕方ない部分は確かにあった。

けど、中身はしっかり「父その人」であり

考えていることや想うことはとてもしっかりしていた。


紙パンツをはかされたのが気にいらない父

尿意はちゃんとわかるし、意思表示もできた。

なのに、介護職員さんたちに

「おむつはいてるんだから、おむつにして。」

と、言われたのだ。


憤った父は、唯一同年代だった入所者の男性に話したそうだ。

すると、

「言うても無駄よぉ。聞いてくれりゃあせん。」


父は何でも仕事の効率とかに結び付けて考える人で

自分が情けない立場に追いやられたとか思ったわけじゃなく

介護の仕事として考えたとき

実際、誰かが手を添えるだけでトイレを使うことができる人たちまで

みんなおむつにしてしまったら

逆にその分、介護者の負担が増えるじゃないかと憤慨していた。


もちろん、言われた側の気持ちも損なうのは当然で…。

介護の現場が大変なのはわかるけど

双方の負担を軽くしながら効率良い介護をすればいいのに

ということを一生懸命話してくれていた。


ん~

調子悪いせいか上手くまとまらない(--;

文章が変??


介護施設でのエピソードは他にもいろいろあるんだけど

長くなりすぎるので書けない。


本当は、

管つけまくって胃ろうまでつけて

無理矢理延命するのは高齢者虐待なんじゃないかということ

それについても書きたかったんだけど…。


おむつの話に戻る。


テレビCMでめっちゃ腹の立つのが

乳幼児向けおむつのCM


積み木を一生懸命積み上げてる子

がんばって集中してるのをジャマしたくないから

おしっこしてもほっとくよ


って内容のもの。


『5回分のおしっこを吸収できます!』


はぁ!? ∑(`д´;


5回おしっこするまでおむつ替えんのんかい!?(怒)


ほとんど布おむつで4人の子を育てた私。


おしっこしたら濡れてキモチワルイよ

ってことは

生まれてすぐの赤ちゃんでもわかってる。

だからおむつを替えてやる。

それを繰り返すことで赤ちゃんは

おしっこというものを理解し覚えていく。

そして1歳を過ぎれば少しずつ

おまるやトイレですればいいんだってことがわかってきて

2歳くらいになればトイレトレーニングは完了する。


わが子たちを見ていて当たり前の成長だったので

今の赤ちゃんって

5回おしっこしてもサラサラのおむつを

ずっと使ってたら濡れるってこと知らないんよね(・・;)

じゃあ、いつトイレでできるようになるんだろ???


介護も育児も大変なのはわかってる。

だから介護する人、育児する人のためには

夜間に紙おむつを使うのは仕方ないかなと思う。


でも…

なんか違うんよね、おむつの考え方が。


なんか支離滅裂になってきたので

またそのうち

頭がはっきりしてて体調マシなときに

書けたら書こう(;^^A




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