近況(?)

今さら近況…って言っても

もう長い間

ブログ自体のんびりな投稿なので

あれやこれや書きたかったことも

飛び飛びになってるんだけど(;^^A


最近のことをちょこっとだけ書いてみる。


まぁ、その…(懐かしの昭和の…じゃないよw)

先月父が他界し

しばらくは弟たちが滞在してくれたので

毎日バタバタしたり楽しくしたりで


それから後

3週間後くらいが疲れのピークだったかな


「あれからどれくらい経った?

 3ヶ月か??

 3年か???

 あら、まだ3週間(−−;???」


みたいな感じで


でもまぁ、

突然すぎてショックが大きかった母のときとは違い

みんな表向きはずっと落ち着いてる。


そして私はまたいつものように

家事とストレッチとルームウォーカーでリハビリ。


若いもんらとの生活は

ありがたいし幸せだとは思うんだけど

合間ではやっぱりそれなりのストレスがあり

「家出した〜〜い!!」

と思うことも度々あったり(−−;


ひとりのお昼ごはんはいつも

たまごごはんとか、ふりかけごはんとか、

生協で買った冷凍たこ焼き

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胃腸の調子が悪いときは

キャベツ味噌粥を作ってみたり

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お気に入りの調味料

「COOP・FACEいりこと昆布の和風だし」と

「CO-OP広島県産大豆使用あわせみそ」を使ってるから

美味しいのだよ(^−^)

(調子良かったらねぎとか卵とかきのこ類とかいろいろ入れるんじゃけどね)



先週末、とある友人からアスパラもらった♪

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貧相なわが家の食卓が潤いましたわぁ〜感謝、感謝(−人−)、、


母の日は小〇寿しで買ってきてくれたお寿司

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母がいなくなってから、この日はちょっと切ない。

今年からは父の日も切ないんだろうなぁ…


とか思ってたら

NYの弟もブログに想いを綴ってた。

ぶ〜たれ - Hisa's blog「まわり道」


そろそろ

調子イイときは

父や母の古い写真を出してみようかな。



毎朝、息子のお弁当を作る。

去年は胸郭出口症候群の症状が辛くて

姉ちゃんたちに任せてたっけ…。


今も元気なわけじゃないから

いつもは1〜2品、冷凍食品に頼ってしまうけど

今朝は久しぶりにおかず全部手作りなので記念撮影。

おかずがシンプルすぎて

大きさわからんかもしれんけど

高校生の弁当箱はデカイんよ〜(;^^A

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娘たちはそれぞれ出勤時間に合わせて起きるので

息子のと同時に私が作って置いたおかずを

自分で弁当箱に詰めて持っていく。


息子と簡単な朝食をすませて

5人分の洗濯物をやっつけたり

朝食の洗い物やっつけたり

何度も休憩しながらマイペースで家事をする。


今日も体中の痛みや痺れや引きつりはある。

日々の生活がリハビリ。


気持ちは相変わらず上がったり下がったり忙しい。

それも心が元気な証拠なのかもしれない。


泣いたり、笑ったり、ボケたりしながら前進中。


できれば外出の機会をもっと増やしたいなぁ…


広島ブログ




毎度おなじみ五月病


いつものことだけど

気圧配置の影響があるのか

先週は体中の痺れと引きつりが酷くて酷くて(;>_<;)


それでも去年あったあの強烈な痛みは少なかった。

全身…特に頭と顔と首と肩と胸と腕が

ジンジンビリビリビリビリするのに

以前のようなズキズキはなかった。


不思議な感覚。

これはやっぱ

昨年から4回入院して治療を受けた成果なのかな??


それにしても

ジンジンビリビリビリビリが酷すぎて

眠剤飲んでもなかなか眠れないくらい辛くて

丸4日くらいはホントしんどかった(つ_T)


昨日は、一昨日までの痺れがいくらか和らいで

外はとってもイイ天気で


出かけたいな〜!


という気分になったのに

連れて出てくれる人がいるわけでもなく…


アパートの部屋から青い空を見上げると

なんだかめちゃめちゃ寂しくなった(;_;)


毎年この時期に訪れるプチうつ

体調がわりとマシなのに

一緒に出かける友達も彼氏もいない現実


あれこれ考えるとマイナス思考まっしぐら=3=3ヽ(_ _;


いかん、いかん!


と、また自分の気持ちをプラスに持っていけるよう

発想の転換をしてみたり

違うこと考えるようにしてみたり


そうこうしているうちに時間は過ぎ

夕方になり


今日もまた終わっていく…って

またプチうつになり


ん〜

悪循環(>△<)




一応、母の日ってことで

長女が小僧寿しを買ってきて食べさせてくれた。

安いわりには美味しかった。


母が亡くなり

父が亡くなり

母の日ってやつと

父の日ってやつが

なんだか切なくなった。


私も「母」なんじゃけ

しっかりせにゃあいけん

と自分に言い聞かせる。


TVの紙おむつのCMに出てくる

カワイイ赤ちゃんをみては


「はよー孫が欲しい。嫁に行って。」


20代の娘三人につぶやいてみる。


「ママが先に行って。」

いつもの返事が返ってくる。


そうよなぁ

私がおったら

娘ら嫁に行かれんよなぁ…


体調悪い日は洗濯と食器洗いくらいしかできんけど

体調良い日は家事のほとんどができるようになった。


こんなんでも嫁に行けるかもしれん。


とか思いながら

そんなことをあれこれ考えていると

またプチうつに陥る(つ_;)



広島ブログ

「生協のお兄さん、おっちゃん、お姉さん、おばちゃまへ」

放置ブログになってますが、ちゃんと生きてます〜(^^;


葬式疲れにも襲われ

体調は良かったり悪かったり


良いときはあれこれ気になってたことをやっちゃって

よけい具合悪くなるし


悪いときは胸郭出口症候群の症状が強く出て

頭も顔も首も肩も胸も腕も

ギュ〜〜〜ッッッ(((;>_<;)))

って縮まっていくんじゃないかっていうような

めちゃめちゃ苦しい感じになるし


ま、相変わらずと言えば相変わらず。



そんなワケでなかなかインターネットができず

寂しい毎日(つ_;)



で、久しぶりに生協ネタ。


かんちゃんとこのぞいたらこんな文章があった


『あなたの乗ってるトラックは何?

 あなたのところに来る、
 
 生協のお兄さん、おっちゃん、お姉さん、おばちゃまのトラックでも可。
 
 その時は、

 おかやまのおっちゃんに頼まれたんだけど、あなたの乗ってるトラックは何?

 って聞いてみて下さい(*^^*)』


うちの担当さんのは…何だっけ(・。・)?

毎週見てるのに気にしてなかった(^^;


広島ブログ


かんちゃんブログ
生協担当者日報
「生協のお兄さん、おっちゃん、お姉さん、おばちゃまへ」



ひまちゃんと一緒に、アートまつりin向原♪

22日(日) 安芸高田市向原町で開催された

アートまつりin向原へ行った ヽ(´▽`)ノ


長女運転の車で向かった

久しぶりの安芸高田市♪

元気だった頃は自分で運転して何度も通った町=3


待ち合わせていたひまちゃんと入り口で会い

号泣ハグした後

一緒に会場へ入りミニライブを楽しんだ。


それから、お昼ごはん食べて

小雨降る中、屋外のブースを見て歩いた。


ひまちゃん繋がりで新しい出会いがあったり

長年のブロ友さんと初めて会ったり…


逆に、せっかく同じ会場に居たのに

会えなかったり…


泣いて笑って

たくさんの人とおしゃべりして

楽しい時間が過ごせた(^^)


いろいろ詳しく書きたいんだけど

今頃になって葬儀疲れも出てきたようで

バテ気味でして…f(^^;


でも、ホント

ひまちゃんも私も

こんなときだからこそ

たくさんのお友だちと直接会って

おしゃべりを楽しむ時間ができたことは

これからのエネルギーになる!o(^−^)o


というワケで

詳しい様子は↓

安芸高田の小さなイベントブログ


更に詳しい様子は

ここから参加者各ブログへ↓

アートまつり in 向原(ツイッター)


私ったら

写真を一枚も撮ってない(T▽T)


広島ブログ



やはり遠出は、頻繁にはできそうにないので

近場で連れ出してくれる人を募集中!


父と母の遺品は、私たち

4月5日(木)

長女が休みだったので父のところへ連れて行ってくれた。

父は、おもいっきり爆睡中(−_−)Zzzz…って感じだった。

数日間そんな状態が続いていて、食事を摂ることもできなくなっていた。


夜7時すぎ、施設から電話があり

仕事から帰ってきた二女と、学校から帰ってきた長男と、

4人で父のところへ駆けつけた。


父はとても苦しそうに激しい呼吸をしている

声をかけても触っても反応がない

目は開いたまま どこも動かせない


しばらくの間

手を握り 声をかけ続けたら

父の左手がわずかに動いた


「おとうちゃん」


父を呼ぶと

私が握った左手をわずかに動かす


何度も声をかけた

その度にわずかに左手を上げようとする


なんだかまるで


「なにしょうるんなら

 わしのことはええけぇ

 おまえははよう帰って寝とけぇや。」


そう言ってるみたいだ


いや、そう言おうとして

私の手を振りほどこうとしているのだ


「おとうちゃん、わかったよ。

 私は帰って休むけぇね、

 もちぃとがんばってぇよ。」


ここからが長いかもしれない。


お世話になっている施設はうちのすぐ近くなので

二女が父のそばについてくれて

私と長女と長男は一旦家に戻ることにした。


仕事から帰ってきた三女に状況を話し

日付が変わる頃

今度は三女が二女と交代し父に付き添ってくれた。


せめて体だけでも休ませようと

家で布団に入っていたけれど

もちろん眠れるわけはなく…


6日(金)午前2時頃、連絡があった。

「そろそろなので、全員来てほしい。」


8時頃見た姿とは違い

呼吸が弱く、回数も少なくなり、

なんだか穏やかな感じに見えた。


「おとうちゃん・・・」


そう呼びかけながら今度は右手を握った

もう ピクリともしなくなっていた


でも

父は息をしようとしている

生きようとしている


その姿を目に焼き付けてほしくて

息子に言った


「じいちゃんの姿…よう見とくんよ。」


息子は黙ってうなずいた



午前3時

父は最後の呼吸をした後

完全に動かなくなった


ちょっと微笑んでいるような

いつものように 世の中を上から目線で見ているような

とてもイイ顔をしていた



「おとうちゃん

 やっと楽になれたなぁ…」


そして


「おとうちゃん

 ごめん

 ごめんよ…。」


これまでの

数々の親不孝を詫びた





父の体は

東京の弟の到着を待って

地元の教会へ搬送


父と母が出逢い

結婚式を挙げ

毎週通い続け

3年前、母の葬儀を行った教会だ


翌日土曜の夜、NYの弟が帰国

日曜日に父の葬儀を行った。


父が親しくしていた多くの人たちは

父よりだいぶ上の年代だったので

すでにほとんどが先に逝かれている。


「あんたぁ もう来たんね」

「まぁ〜まだちぃと早かろう」

70歳の父は

きっとそんなふうに迎えられたことだろう。


長年近所で親しくしていただいた人たち

父の同級生や友人…

みんなで良い見送りができたと思う。


挨拶は一応喪主であるNYの弟が勤めた。

私たち家族の想いを上手く表現してくれた。


「実の両親を“お父さん”“お母さん”と呼ぶことがなく

 『わしには血縁がなかった』と語っていた父ですが…

 子ども3人、孫5人、

 先週1歳になったうちの息子以外の7人が今この場にいます。

 父の血縁であることを誇りに思います。」


他にもあれやこれや…

ちと長かったけど、私らは大満足。

母のときと同様にピアノで弾き語りもしてくれた。


良い葬儀だった。




実家は廃墟なので

その日のうちに7人で 私と子どもたちが住むアパートへ戻った。


生きてる私たちはおなかがすく。


しっかり飲んで食べて

あ〜だのこ〜だの思い出話に花が咲いた。


物欲の無かった父が遺した物は

最小限の生活用品


メガネをNYの弟に渡した

「これちょうどええけぇ わしが使うわぁ。」


父が愛用していた腕時計が壊れ

一昨年わが家で同居していたときに買った腕時計

激安品だけど父こだわりのものなので

「これ、遺品じゃけ持っときぃ。」

東京の弟に渡そうとしたら


「わしはそがぁなもんはいらん。

 わし自身が遺品じゃけぇ。」



そうよなぁ

私ら自身が

お父ちゃんとお母ちゃんの遺品なんよなぁ…



流行には乗らない派のわが一族

この超高齢化という流行にも乗らなかった父と母


ちぃと早いが 世代交代じゃ。


まだ幼いNYの甥っ子や

これから生まれてくるであろう

父と母の孫やひ孫たちに


私は

おばちゃんとして

おばあちゃんとして

いろんなことを伝えていかねば…


そんなふうに思う今日この頃。



突然だった母のときとは違って

今はわりと落ち着いている私の心と体。


これから日が経つにつれ

寂しさや疲れに襲われるのかもしれない。


でもそんなときは

しっかり泣いて

ゆっくり休めばいい


そしてまた

人生を楽しもう


私自身が父と母の遺品だから




広島ブログ








とうとう…

父が

母のところに

いってしまいました



今夜と明日に備えて

今はゆっくり休んでいます


私は大丈夫

突然だった母のときとは違って

父は準備する時間をいっぱいくれたし

家族や周りの人たちに支えられているから…

痛ぁ〜い注射と、再会と出会い

一昨日の夕方、退院して無事帰宅。


胸郭出口症候群の入院治療は

昨年6月・9月・12月に続き、今回で4度め。

10ヶ所以上、痛ぁ〜〜い注射をされ

辛くて苦しい副作用に耐える

それを毎日くり返す。


頭・顔・顎・首・肩・胸の

痛みや引きつり、痺れなどの症状が

まだ残ってはいるけれど

1年前を思うとずいぶん楽になった。


以前書いたように

私がお世話になっているのは

脳外科だけでなく他の科との混合病棟なので

診療科毎の患者の人数もその時々で違う。


今回は

脳脊髄液減少症の人

胸郭出口症候群の人

私と同じでどちらも患っている人

という脳外科の患者が多く

しかも同じ40代の女性が数人いたので

体調の良いときには

デイルームへ集まって女子会(笑)


痛みや辛さを吹き飛ばすかのように

みんなでおしゃべりを楽しんだ(^−^)


疲れたり具合悪くなったりしたら

遠慮なく席を外してベッドに戻ればいいし

そこはお互いよく分かり合っている患者同士

気兼ねがなく心から楽しめた。


同じ40代とは言ってももちろん

生きてきた環境も価値観もそれぞれ違うし

病院じゃなきゃ出会うこともなかったワケで…


でも、病の辛さは一番共感できる

明るくて楽しくて優しい「同志」のような関係。


退院して自宅に戻れば

またひとりぼっちの療養生活。

ここぞとばかりに

みんな、しゃべるしゃべる(>▽<)


他の部屋には重症の脳脊髄液減少症で

寝たきりの人もいると聞いた。

数年前の私のように…。


でも、大丈夫。

今は辛いけど

少しずつ…少しずつ、良くなるからね。


そう言ってあげたかったけど

他の部屋に押しかけてまで私が言うのは

おこがましいような気がしたので

遠慮しておいた。

他の科の重症患者さんもいるし。


同室になった他の科の患者さんとは

仲良くなっておしゃべりしたり


以前の入院で出会った患者さんとの

切ない再会もあったり…


なんだか内容が盛りだくさんの入院生活だった。


広島ブログ


少しずつ…

少しずつ

前進中(^^)v


女子会とかランチ会とかオフ会とか…いろいろ参加した〜い!

はるめちゃんたちのブログによると

何やら県北の某所で

楽しい女子会が行われたらしい。


え〜んっっ!! (つд;)

私も行きたかったよ〜〜っっ!!(TдT)


とは言っても

只今ワタクシ入院中。

で、一時帰宅中。


GW辺りに

ひまちゃんに逢いに行けるといいな…


もちろんはるめちゃんにも逢いたいし

まだ逢ったことない

河野美代子先生やテンペさんにも逢いたいな…



今日はこれからまた病院へ戻らなきゃいけない(;△;)

でもその前に、駅に着いたら

去年の入院中出逢ってお友だちになった人と

ランチするのだ(^m^)♪


来週後半には退院。

少しずつ、少しずつ、前進中。


入院中に仲良くなった人たちとは

元気になって病院の外で逢いたいよね〜!

っていうのが共通の願い。


昔からの友だちにも逢いたいし

生協仲間にも逢いたいし

ブログ友だちにも逢いたいし


とにかく逢いたい人がいっぱいいるから

そういう機会がどんどん増えていくといいな〜(^^)


広島ブログ


女子会の様子

勝手にリンク貼っときます。

毎度事後報告でごめんなさいm(_ _)m


北広島町 農事組合法人 せんごくの里の (ほぼ) 個人ブログ
「田舎の、ランチ女子会」


君らと歩いた道
「笑顔をみてね」


河野美代子のいろいろダイアリー
「一品持ち寄り女子会?」


のりたま日記
「春が待ち遠しい女子会」


熟女の恋愛ものと、戦国武将と…

ワケわからんタイトルになってしまった(−−;


ここのところまた体調悪くて悪くて(泣)

体痛すぎると頭の回転も悪くなってしまうし(泣)


そんな中、昨日は

今月からうちの近くの施設に入った

父のところへ行ってきた。

長女運転の車で末っ子長男と3人で行った。


先月までは同じ市内でも山奥の施設だったので

会いに行きやすくなった。


でも、天候のせいか

父も私も調子悪くてあまり会話にならず…


父「あんたぁどがぁなんや?」

私「しんどいよ〜 また入院してくる。」

父「ほうか、そりゃあいけんのぅ。」



数日前

長女がたくさんのDVDを借りてきた。

「TVは特番だらけでウツになちゃうからねぇ。」って。


私からのリクエストは『恋愛適齢期』(アメリカ/2003)

三女「お母さんが熟女の恋愛ものにハマッとるぅ〜」


木曜22時放送中の『最後から2番目の恋』を

毎週楽しみにしているから

レンタルDVDでも熟女の恋愛ものかいって思ったらしい。


若いもんらにとって懐かしい『映画ポケモン』とか

長女がハマッてる『戦国鍋テレビ』とか

家族で観る用の『マンマ・ミーア!』も観た。


『マンマ・ミーア!』

おばちゃんたちが桟橋で歌って踊るダンシングクイーン

「ママもあれ歌って踊りたい。」と、つぶやくと

二女「がんばって歌はマスターしたとしても、踊りは無理じゃろ(−−;」

言うのはタダじゃけ、言わせといてくれ。。。


『戦国鍋テレビ』

戦国時代の武将のことをパロディにした

関東ローカルのTV番組だそうで…


私「天下統一??

  昔の日本のことじゃろ??

  んな、小さいこと言っとらんと

  長男、とっとと地球を統一しんさい。」


長男「んー がんばる。」



今日もまだテレビは避けているけど

新聞を見て、涙が出た。


去年の3月11日は

末っ子長男の中学校卒業式に行って感無量で…


その日の午後

テレビをつけたのが3時頃だったっけ。


父に会いに行ったのと

家族でDVD鑑賞

それが今年のわが家流の

あの日を思う過ごし方だった。


広島ブログ

『元気でいるべき人には元気でいてほしい』

昨日は病院へ行ってきた。

次の入院の日程が決まった。


私が入院する病棟は

脳外科だけでなく複数の科の混合病棟なので

他の科の患者さんとも同室になる。


自分の命の終わりをみつめる人と

同じ部屋で長時間過ごすことについて

主治医との会話の中で

今回初めて本音を口にしてしまった。


「正直言うと…とても辛いんです。

 3年前、親しい友人を亡くしました。

 つい先週も友人のひとりが…。

 だから、仕方のないことだというのは

 わかってはいるんですけど…

 すごく辛いんです。」


ちょっと泣きそうになった。


主治医「アクビさんは優しいんですよ。」


私「いえ、違うんです。

  逆なんです。

  その人たちがとても優しくて

  まるで悟りを開かれたかのようで…。」


言葉に詰まった。

そばにいた外来担当の看護師さんが小さくうなずいた。
 

私「私のことをとても気づかってくださって

  優しくしてくださって…。」


少し考えたような表情で主治医の口から出た言葉は

「彼(彼女)らはね

 『元気でいるべき人には元気でいてほしい』

 そう思ってると思いますよ。」


そうか…

そうなのかな…



ひめみかんちゃんが逝ってもうすぐ3年になる。

幼い子どもたちやダンナさん、ご両親のこと、

何を想い考えながら

その時間を過ごしていたのだろう?


私が考えたところで答えがでるわけないんだけど…


彼女と過ごした楽しい時間と

最後に逢ったときに話したことは

心にずっと残っている。


ひめみかんちゃん、

先週そちらへ行ったトラ吉さんは

あなたが逢いたがってたひまちゃんのダンナさんで

私のおともだちだからね

ひまちゃんのこと、私のこと、

いっぱいおしゃべりして仲良くしてね。


『元気でいるべき人には元気でいてほしい』


センセイが話してくれた通り

先に逝った人たちや

命の終わりが見えている人たちは

そう思ってくれているのかもしれない。


確かに、寝たきりだったときの私も

誰かが同じ思いをすればいいなんて

考えたことないと思うし、

(いや、正直言うと「症状体験装置」はあればいいと思ってたけどね。)



『元気でいるべき人には元気でいてほしい』


身近な存在のわが子や弟たち

周りにいる若い人たちや子どもたちには

特にそう思っていたし、

もちろん今でも思っている。


そして私も、ひまちゃんも、

『元気でいるべき人』なんだ。


去年の3回の入院がそうだったように

今度の入院でも出逢いがあるのだろう。


とても素敵で

とても切ない出逢いが…



退院したら

天気のイイ日に

ひまちゃんに逢いに行こう。



広島ブログ


プロフィール

Author:アクビ


2003年の交通事故で
脳脊髄液減少症になりました
後遺障害で
高次脳機能障害
合併症で
胸郭出口症候群があります
でも、心はいつも元気!

脳脊髄液減少症の記録

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